「肩の痛み」と鍼灸における病態把握
肩の痛みで有名な「五十肩」は痛みが強い「疼痛期」が発症初期に起こり、腕が上がらない「拘縮期」がそのあとに続きます。
「拘縮期」に入ってしまうと、回復に時間がかかり生活に支障がでます。
今回は「五十肩の疼痛期」の症例、さらに「肩の痛み」と「病態把握」について少し書いてみましたので、ご覧ください。
*この症例は患者さん自身が特定できないように変更を加えています
鍼灸症例
患者:81歳、女性、両肩の痛みを訴えて来院。
自宅で健康維持のため運動していたからだと思う。特に、来客があるため、念入りに掃除をしていたのも関係があると思う。
受診動機:急に肩がかなり痛むので受診した。
現病歴
数年前から肩関節の痛みはあった。昨年は冷房にあたりすぎて痛くなった。動けなくなるといけないと思い、日に3回運動をしていた。また来客があるため窓拭きなどの掃除を念入りにしていた。今回は昨日の朝から両方の肩関節に強い痛みを感じた。
昨年の痛みより強い。右より左の方が強く痛む。痛む部位は左肩関節前面から上腕外側にかけて。右は肩関節前面のみ。シャツを着る、顔を洗う、ズボンを上げる動作が痛みのためできないので家族に手伝ってもらっている。茶碗がもてない。痛みで腕をあげられない。動作だけでなく、坐って腕を下ろしていても痛みを感じる。ソファーにもたれていると少し楽。痛みはズキズキする感じ。しびれはない。手指の痛みはない。
頚の動きによって肩関節の痛みは誘発しないが、肩上部の痛みは誘発する。頚部右回旋により右肩上部に痛みを感じる。昨夜は夜間痛があったが、少しは眠ることができた。痛みのため横向きで寝られない。腹臥位もできない。外傷歴なし。
一般健康状態
喫煙、飲酒歴なし。服薬は睡眠薬、安定剤、胃薬、血圧の薬食欲(正) 体重変化無し 睡眠(服薬していれば問題なし)発熱無し
身体診察
肩関節に熱感・発赤なし。特に前面に腫脹・圧痛あり。触れるだけで痛む。
左肩関節70°挙上可(自動) 右肩関節90°挙上可(自動)他動外転不可 軋轢音は認められない。
既往歴
変形性膝関節症(両側)・右肩関節靭帯手術歴有り
初診時の診断と根拠
五十肩(炎症期)と頚椎症性神経根症の合併
①ズボンを挙げられない(結帯動作)
②夜間痛有
③洗顔、シャツの着脱などができない。
④他動外転不可(拘縮有)
①´頚部の動きで肩上部に痛みがある。
鑑別診断とその根拠
①石灰沈着性腱板炎:夜間発症ではない。眠れる程度の痛み。→可能性が捨てきれず、経過を見て判断する。
②腱板断裂:他動外転不可。外傷歴がない。軋轢音が認められないため除外。
③腱板炎:拘縮があるため除外
④肩峰下滑液包炎:拘縮があるため除外
⑤慢性関節リウマチ;手指に痛みがないため除外。
⑤胸郭出口症候群:しびれがない、急性発症であるため除外。
施術とその指標
痛みの軽減と生活動作の改善を目的とした。
第1回
仰臥位のみで治療。肩関節前面(烏口、結節、間溝、肩偶など)を中心に浅刺 40㎜-18号で置鍼15分。糸状灸各1-2壮。坐位で肩関節と後頚部に単刺を加える。治療直後は少し服に袖を通すのが楽との事。
石灰沈着性腱板炎の可能性も念のため伝える。
第2回(4日目)
痛みが続き眠れなかった。昨日、歯医者でもらっている痛み止めを服用したところ少し効いた。(石灰沈着性腱板炎だと痛み止めの服用では収まらない程度の痛みと思われ、その可能性が下がると判断した)寝ているとつらい。
右肩関節160°、左肩関節40°まで挙上可。他動外転不可。左肩の腫れがひかない。棘上筋点が最大圧痛(触れるだけで痛む)。治療は前回同様。生活のアドバイスは左肩甲骨下に折り重ねたタオルを敷いて寝ていただく。
第3回(8日目)
左肩の痛み、腫脹は不変だが、タオルを敷いて寝ると楽。服を着るのも少し楽。
第4回(15日目)
この1週間は調子がよい。左肩90°挙上可。腫れもひいてきた。触れただけで痛まない。
第5回(22日目)
左手で頭を触れるようになる。挙上100°ほど。肩が痛くなる前に行っていたデイサービスと近隣の公園への散歩を希望されたので勧める。拘縮を避けるため仰臥位にて右上肢で左上肢を挙上する運動を処方する。
第6回(29日目)
左上肢挙上150° 拘縮期に入る気配がない。母指を下方へ向けての肩関節外転(棘上筋)は可能。
タオルを臀部付近で引っ張り合う運動を処方する。公園への散歩は毎日行っている。洗濯物をたためるようになった。洗い物(軽いもの)ができるようになった。家族がリハビリのため、わざと洗い物を残している。運動もまじめになさっているご様子。
第7回(36日目)
服は自分で着られる、洗濯物が干せるようになった。髪を洗うのは手伝ってもらっている。自主的に散歩の距離を増やしている。
第8回(43日目)
髪が洗える、入浴が一人でできる。ドライヤーができる。
第9回(50日目)
両肩とも動き、日常生活は以前のようにできる。痛みは使いすぎると少しはでてくる。
第10回(57日目)
腹臥位になっても肩が痛くならない。治療は全身治療に切り替える。右肩手術痕に直接灸を行う。
症例のポイント
初診時は「五十肩」か「石灰沈着性腱板炎」か厳密に判断しにくい状況でした。五十肩は「疼痛期」と「拘縮期」の二相性の経過をたどるため、「時間」を判断の味方にし、一定の治療方針をたてるようにしました。
その結果、「疼痛期」の過ごし方がうまくいき、「拘縮期」に完全に至る前に、処方した運動をまじめになさっていただいたことが日常生活への早期復帰につながったと思います。症状が落ち着くまで、2か月弱でしたが、「拘縮期」に入らずにすみました。
一般的に「五十肩」で「拘縮期」に入ってしまうと、回復までに1年ほどかかってしまうといわれています。そうなると生活の質が大幅に変わってしまいます。
また今回、家族の支えと、高齢者の「家事をする」、「片付けをする」といった「役割」が回復を支える要素であることがわかりました。
(下記からは少し専門的かもしれません)
「肩関節疾患」の症例から「診断名をつけること」について
鍼灸師は医師と違い厳密な「診断」はできないのですが、「病態把握」は鍼灸治療をする上で必要です。「肩関節疾患」の症例から「診断名をつけること」について少し考えてみました。
これが全てではありませんが、「肩関節疾患」の「診断」については様々な意見があり、下記に引用します。
「開業鍼灸師のための診察法と治療法 五十肩」 (医道の日本)出端昭男 133-134 *⑦(鍼灸師テキスト)
「腱板断裂や石灰沈着性腱板炎も経過が長期化してくると、結局、炎症が周辺部の組織に波及し、病態も臨床症状も五十肩に類似します。したがって鍼灸治療の方法としては、腱板ルートの五十肩であっても、また長頭腱ルートのそれであっても、さらに腱板断裂や石灰沈着性腱板炎の週末像としての五十肩症状であっても、ほとんど同様の治療でその目的を達することができます。」
→診断名よりも、何が起こっているかを把握することが大事。(炎症が周辺部に波及している)
大日本住友製薬サイト 座談会「肩の痛み」(医師) *①
「診断名をつけることよりもいかに主訴を改善するかが優先します」
「要するに肩の痛みという愁訴の原因部位を診察や画像所見、および理学所見などで総合判断することが大事、病態を踏まえた患者ごとのストラテジーとして保存療法か手術かリハビリテーションで行くのかを判断することになります。」
東京大学医学部付属病院リハビリテーション部 物理療法部門(鍼灸)*⑤
「原因部位や病態の明らかな疾患(烏口突起炎、上腕二頭筋長頭腱炎、石灰沈着性腱板炎など)と五十肩とは区別するべきという、現在ではこの考え方が広く支持されている。しかし、これらの疾患はX腺やMRI、関節造影などの検査で初めて、鑑別し得ることも多く、我々の日常臨床では、五十肩と他の肩関節周囲炎を鑑別することは非常に困難と思われる」
絶対に正しい診断名を言い当てることができない場合、その時どうするかという時に、正しいマネジメントができることが大切です。かといって、診断名をつけられないことは、診断名をつけなくてもよいということでもありません。(病態把握をする必要があります)
今回の場合、肩関節疾患に対する鍼灸治療のマネジメントを変える現象が何か、どうしたらそれを判断できるのか。疼痛期→除痛が優先。痛み止め、鍼灸などが運動より優先する
拘縮期 →可動域の改善 運動がメインとなる
この「時期」を区別する「病歴」こそが、マネジメントを変えます。
問診について、「構造と診断 ゼロからの診断学」(医学書院)では下記のように書かれています。
「過去に起こった出来事を現在に取り戻す作業、今目の前にいない患者を取り戻す作業。それができるのは検査でも、身体診察でもなく「病歴」のみ。」*⑥
この内容を誤読していなければ(内容が深く、難しいですが)、肩関節疾患において、
患者の状態がどういう「時期」にあるかという「現象」を把握できるのは身体診察でも、
検査でもなく「病歴」しかないということになるかと思われます。
肩関節疾患に関しては「病歴」だけで診断をするのは難しいかもしれない、でも現象を把握して治療につなげるには、「病歴」をしっかり聞いていればそんなに間違った方向にはいかないと感じました。「診断名」をつけるためだけでなく、「病態把握」から「適切なマネジメント」につなげるため、「病歴」をきちんと聞く重要性を再確認できました。
参考資料
①大日本住友製薬 医療情報サイト 座談会「肩の痛み」「肩関節周囲炎」
②「五十肩に対する鍼灸治療の2症例」 宮山忠彦 安野富美子 全日本鍼灸学会雑誌51巻5号
③「五十肩に対する鍼治療の効果 -症例集積による検討-」 堀紀子 山下仁 全日本鍼灸学会雑誌第46巻4号
④「五十肩の臨床所見と原疾患の推定」 木下晴都 全日本鍼灸学会雑誌41巻2号
⑤「腱板不全断裂に対する鍼治療の一症例」 美根大介 小糸康治 全日本鍼灸学会雑誌56巻2号
⑥「構造と診断 ゼロからの診断学」 岩田健太郎 著 医学書院 刊
⑦「開業鍼灸師のための診察法と治療法 五十肩」 出端昭男 著 医道の日本社